こんにちはしげちーです。
先日、母から父の体調が思わしくないと連絡がありました。
受診する病院を変わるとの事だったので付き添いを含めて実家のある
名古屋へ行ってきました。
およそ一年振りに再開した父はやせ細っていてかなり体力が落ちた様子でした。
電話で話を聞いてはいたのですが実際に目の当たりにするとやはりショックでした。
たった一年前は元気で横浜まで遊びに来てくれていたのにこんなになってしまうんだなと・・
親とはずっといつまでも一緒にはいれないと言う当然の自然の摂理は理解しているのですが
気持ちが追い付きませんでした。
今回受診した病院での結果もあまり思わしい物ではなく、もう会えなくなる日も近いのでは
ないかとリアルに考えてしまい様々な思いが頭の中を駆け巡っていました。
その日は朝から名古屋へ行き翌日はどうしても外せない仕事がありとんぼ返りで横浜へ帰りました。
「当たり前」なんてものは存在しない
帰りの新幹線の中で色々な事を考えていました。
その中でも強く強く感じたのは今までホントにごくごく普通に身近にいた人がもしかしたら
いなくなってしまうかも、そう考えると自分が今まで出会った人達、現在自分の周りにいる
人達そしてその人達の存在がもうホントに奇跡なのだなと強く思いました。
人だけではなく身の回りにある物も何一つ当たり前にこの世界に存在する物ではないと
感じました。
斎藤一人さんの言葉の中に「感謝の反対は当たり前だよ」って言葉がありますが
何かこの言葉を思い出して新幹線の中でずっと言葉の意味を噛みしめていました。
日々、自分の周りの人や物に日々感謝しているつもりではいましたがキチンと感謝できていなかった
という事を何か思い知らされたような感覚になっていました。
父親と言う存在は生れた時から今までずっとずっと身近にいてくれた人
あえて「当たり前」と言わせて頂きますが「当たり前」に身近にいた存在がいなくなる
かもと考えると感謝って言葉の意味が深く深く感じそして考える事が出来ました。と言うより
考えさせられと言った方がいいかと思います。
同時にこんな「当たり前」に無条件に自分を愛してくれていた存在がいなくなってしまうかも
って時になってやっと存在の大きさに気がついて何事にも感謝出来ていなかった私自身の傲慢さ
愚かさに気づかされる始末でした。
世の中には今の私と同じような経験をしている方はもう星の数ほどおられると思います。
もちろん身近な方にもこんな経験をしている方は沢山いますし架空の世界の話なら本や映画や
ドラマなどでも同じような話は何度も見聞きしています。
でも実際に自分の身に起こると頭では解っていても感じるリアルさは全く違う物なんですね。
これも斎藤一人さんの言葉をお借りするならば「神様の試験」なのかなと思っています。
神様からちゃんと感謝することを見直しなさいと注意を受けているような気持にになり自分の
在り方をしっかりと見直さなければと考え、そして自分の周りの人や物が存在してくれる事への
感謝の気持ちを正しい意味で持たなければと反省をしました。
そうしている内に新幹線は新横派に着き家路をたどり無事に帰宅する事ができました。
新横浜で新幹線を降りて家までの道のりで見える景色は見慣れた景色なのですが不思議な事に
とても新鮮な景色に見えました。 普段何気なく見慣れている景色なのですがとても新鮮に見え
るのでした。
そして家に着き家族の顔を見たのですが、もちろん家も家族もいつも通りです。 ですが見えた
瞬間は心の底から安心しました。 何だか泣いてしまいそうなほどでした。
妻や子供そして2匹のワンコが元気そうにいつも通りに過ごしているのがとてもとても幸せな事
なんだなと感じる事ができました。
「当たり前」にある事なんて何もないんだと、どれだけ自分が幸せを見れていなかったのかが
よくよく理解する事ができました。
今この瞬間しか感じる事が出来ない幸せに心から感謝しなければ絶対に後悔するなと思いました。
丁寧に生きる
自分では意識しているつもりではいましたが、丁寧に毎日を生きるという事がどこか出来ては
いませんでした。 と言うより出来ていない事にやっと気がつきました。
翌日職場に着きパソコンを開きまずメールをチェックしました。 仕事上一日仕事を開けると
かなりの数のメールが溜まっていてメールのチェックが正直ウンザリしていました。
しかし何故かこの日はメールのチェックを行っていて何時もと違う事に気がつきました。
気がつくと言うよりは今までそんな風に見れていなかったと言った方が正しいのですが
メールをチェックしていくと私が休みの日にもしっかりと業務を他の人たちが行ってくれて
いるのだなと内容を確認していて感じました。
勿論仕事なので今までも同様の事をやってはいてくれていたのですが不在の日でもしっかり
と業務を行ってくれている事がとてもありがたく思えました。
すると不思議な事に何件か抱えていたトラブルが何事も無かった様にその日の内に解決して
しまったのです。
それも想像もしていなかった様な助け船があり解決してしまったのです。
解決には時間が掛かるなと思っていた案件だったのですが自分以外の人たちがメール上でやり取り
をしていて解決をしてしまいました。 正直私はその流れを見ているだけでした、モチロンありがたい
事ではあるのですが何か違う次元で起こっている出来事を見ている様で解決した事の開放感よりも
不思議な気持ちの方が大きかったです。
そして日々食事が食べれる事に感謝する。 など毎日の生活において起きる事にも感謝の気持ちを
見つめ直しました。
私は引き寄せの法則やスピリチュアルな事が大好きで長年勉強をしてきました。
特に引き寄せの法則の中では感謝の気持ちは大切とされていて感謝を日々行うと感謝する出来事を
引き寄せると言った内容は様々な書籍や動画などで紹介されています。
この内容は正しいと私も思っていて実際に感謝をすると言う事を大切にしてきたつもりでした。
しかし心の何処かに感謝をして良い事を引き寄せようと言う執着がある事に気がつく事ができました。
不思議な感覚ではあるのですが、ただ身の回りの人や物や出来事にひたすら感謝できる。
感謝する事でその先の事を引き寄せようとするのではなく今この場に存在する事に感謝できる
今ここに存在してくれている事にただただありがとうと感謝できる事がこんなに豊かな気持ち
にさせてくれるのだなと正に気づかせてくれたのだなと思います。
最後に
この記事は今思っている事、感じている事をそのまま書いてしまいました。
大変に読みづらいかとは思いますがご容赦ください。
転勤で実家のある名古屋を離れてからと言うも色々な土地で暮らしました。
何処の土地もそれぞれ良い所がありそれぞれに素晴らしい場所でした。
しかし時折名古屋と言う土地に帰ると他のどの土地にもない素晴らしいエネルギーを
与えてくれていました。
これは私が感じる事であって名古屋と言う場所が特に他の地域より優れているとか
そんな事が言いたいのではなく私にとっては特に元気をくれる土地なのです。
大好きな場所ではあるのですが自分にとってこんなに元気をくれていた事に気がついた
のは転勤をして名古屋を離れてからでした。
正に名古屋は私がエネルギーをチャージできる場所なのです。
仕事であっても普通に帰省であってもどんな状況で訪れてもエネルギーをくれていた
名古屋なのですが冒頭で書かせて頂いた事情で今回訪れた名古屋は正直なところエネルギーを
与えてくれませんでした。 この感覚は私が名古屋を離れてからおよそ13年の月日が経つのですが
初めて味わう感覚でした。
それまでは名古屋のありとあらゆるものが私にエネルギーを与えてくれていたのですが今回の規制は
ホントに名古屋に行ったのかなと思う位にエネルギー貰う事がありませんでした。
しかし代わりに大きな「気づき」を与えてくれました。
同時に名古屋を訪れて大きなエネルギーを貰えていたのは両親の存在があった事にも気づきました。
感謝の大切さは今までも充分に解っていたつもりではいましたが、まだまだ理解出来て
いない事に大きな衝撃と共に気づく事ができました。
父の事も出来る限りの事を後悔しない様にして行きたいと思っています。
今回の記事はホントに取り留めなく落としどころのない内容になってしまいとても
読みづらい記事になってしまいました。
ただ何故か自分では思った事を素直に書けた気がしています。
記事を書いていて不思議な感覚になった記事でした。
こんな記事ですがここまでお付き合いいただけた方はホントに感謝しています。
最後までお読み頂き心よりありがとうございます。
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